情報が爆発的に増え続ける現代、マーケティングにおける最大の難関は、もはや「良いものを作ること」ではない。「一瞬でも注意を惹きつけること」そのものだ。
だとすれば、一見結びつきにくい2つの要素を組み合わせ、あえて”違和感”を生み出すことは、理にかなった戦略のはずだ。私はこれを「イメージ・モチーフ理論」と呼んでいる。対象と、そこに掛け合わせるモチーフとの距離が適度であるほど、その違和感は「なぜ?」という興味に転じ、人は思わず目を留め、手に取る。資生堂在籍時に手がけた「Ag+(エージープラス)」は、まさにその好例だった。「デオドラント×銀色ボトル」という一見結びつきにくい組み合わせに、「銀イオンの殺菌消臭」という一文が添えられたことで、違和感は一瞬で納得に変わり、テレビCMなしの大ヒットにつながった。
ところがこの夏、同じ「2つの要素の組み合わせ」を狙ったはずの3つの取り組みが、軒並み炎上した。綾瀬はるかのユニクロCM、「551蓬莱」の自衛隊コラボ手提げ袋、そして法務省の入れ墨ポスター。理論上は「ちょうど良い違和感」になるはずだった組み合わせが、なぜ興味ではなく拒絶反応を招いたのか。3つを見比べると、共通の答えが浮かび上がる。違和感を納得に変える「橋渡しのひと言」が、それぞれ違う理由で、受け手に届いていなかったのだ。
ケース1:綾瀬はるかのユニクロCM――”ひと言”はあったが、拡散の過程で消えた
2021年からユニクロ「LifeWear」のアンバサダーを務める綾瀬はるか。今年もエアリズムやブラトップのCMが、夏の風物詩のように物議を醸した。上半身裸の背中を見せるカットに、《ユニクロって何で綾瀬はるかを脱がすの?》という声がXで拡散した。
実は、このCMには橋渡しの”ひと言”がすでに用意されていた。「肌ってあなたの親友みたいなものだ」というナレーションは、”上半身裸”という強い違和感を、快適な着心地というブランドコンセプトへ着地させるための一文だったはずだ。
だが、この一文はうまく機能しなかった。CMは映像と音声がセットで初めて意味を成す。しかしXで拡散される際は、多くの場合、音声のないスクリーンショットとして切り取られ、肝心のナレーションだけが抜け落ちる。実際に拡散された画像は、綾瀬が唐突に「裸の背中を見せている」という違和感だけが前面に押し出されていた。違和感を解消するはずの”ひと言”が、拡散という過程そのものによって置き去りにされてしまったのだ。
Yahoo!のリアルタイム検索で「綾瀬はるか」とだけ検索すると、直近1週間の感情はポジティブが72%。ところが「綾瀬はるか ユニクロ」で検索し直した瞬間、その数字はネガティブ91%へと反転する。人は大量の情報から自分にとって重要な情報だけを無意識に選び取る「選択的注意」(※1)によって、同じ映像から違う意味を読み取ってしまうのだが、その根本には、”ひと言”が届いた人と届かなかった人の分断があった。
ケース2:「551蓬莱」の自衛隊コラボ袋――”ひと言”はあったが、小さすぎて読めなかった
大阪の豚まんチェーン「551蓬莱」が8月、自衛隊とコラボした手提げ袋を無料配布したところ、「気味悪い」という声がX上で急拡散した。しかし同社は2024年・2025年にも自衛隊とコラボしており、当時は問題にならなかった。消防局や大阪府警とのコラボも度々行っているが、こちらも炎上したことはない。
この手提げ袋にも、実は橋渡しの”ひと言”があった。自衛隊車両のイラストの下に、「毎年9月1日は防災の日です」という趣旨の文言が、小さいながらもしっかり印字されていたのだ。
しかし今回、この一文は機能しなかった。騒動のきっかけは、手提げ袋を持った客の姿を遠目に撮った写真がXに投稿されたことだった。この距離・解像度では小さな文字はまず読み取れず、目に飛び込んでくるのは迷彩色の車両とヘリコプターのイラストだけになる。加えて、消防・警察のイラストが呼び起こす連想は「救助」「安全」にほぼ収斂するのに対し、自衛隊という記号が呼び起こす連想は「災害派遣」にも「軍事」にも大きく揺れる(※2)。橋渡しの一文が読み取れないまま、この揺れ幅の大きな記号だけが単独で目に飛び込んできたことが、拒否反応を招いたと考えられる。Ag+の場合、銀色というボトルの色そのものが、遠目からでも一瞬で意味を伝える”ひと言”の役割を果たしていた。文字ではなく色に橋渡しを託していたからこそ、どんな距離・解像度でも機能したのだ。
ケース3:法務省の入れ墨ポスター――”ひと言”が届く前に、判定が終わっていた
法務省保護局は8月、更生保護をテーマにしたNetflixの番組「ラヴ上等」とタイアップし、全身入れ墨で小指のない出演者を大きく配したポスターを展開したが、「犯罪を美化している」という批判が相次ぎ、最終的にタイアップは取りやめとなった。
このケースが前の2つと決定的に違うのは、そもそも”ひと言”が機能する時間すら存在しなかった点だ。人は初対面の相手を見た瞬間、「支配的か従属的か」「善良か悪意があるか」という2つの軸で、わずか0.1秒ほどのうちに評価を下しているとされる(※3)。入れ墨や迫力ある表情は、支配性の軸では強く「支配的」側に、信頼性の軸では「悪」側に、ほぼ自動的に評価されてしまう。
綾瀬はるかのケースは”ひと言”が拡散の過程で失われ、551蓬莱のケースは”ひと言”が距離的に読み取れなかった。しかし法務省のケースでは、言葉が介在する余地すらない0.1秒という速さで、判定そのものが完了してしまっていた。実際に入れ墨を入れている当事者が投稿した《後悔してません》というコメントには「うーん」という反応が多く集まっており、本人の意味づけが入り込む隙は、最初からほとんどなかったことがわかる。
3つのケースが教えてくれる、イメージ・モチーフ理論の”本当の勝負どころ”
3つの出来事は、いずれも「一見結びつきにくい2つの要素の組み合わせ」という点では、理論通りの設計だった。問題は組み合わせそのものではなく、その違和感を納得に変える”ひと言”が、実際の受け手にどう届く(あるいは届かない)か、という一点にあった。
- 綾瀬はるかのCM:ひと言は「拡散という編集作業」によって失われた
- 551蓬莱の手提げ袋:ひと言は「距離・解像度」によって読み取れなかった
- 法務省のポスター:ひと言は「0.1秒という速さ」に間に合わなかった
イメージ・モチーフ理論の本当の勝負どころは、実は「違和感をどう作るか」ではない。「その違和感が、実際にどんな速さ・距離・伝達経路で受け手に届くのか」まで見越して、橋渡しの一言を設計できるかどうかにある。Ag+が色という視覚情報そのものに橋渡しを託して成功したように、言葉に頼るなら、その言葉がどんな条件下でも欠落しない設計になっているか——ここまで含めて初めて、違和感は興味に転じる。
情報が溢れる時代、注意を惹くための”適度な違和感”は、もはや欠かせない武器だ。しかしその武器は、諸刃の剣でもある。今回の3つの騒動は、その刃をどう扱うべきかを教えてくれている。
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《見た目の科学ブログ》
《東洋経済オンライン》
引用文献
※1 Broadbent, D. E. (1958) Perception and Communication, Pergamon Press. / Treisman, A. M. (1964) Verbal cues, language, and meaning in selective attention, American Journal of Psychology, 77(2), 206-219.
※2 Mandler, G. (1982) The structure of value: Accounting for taste. In Clark, M. S. & S. T. Fiske (eds.) Affect and Cognition: The 17th Annual Carnegie Symposium on Cognition, Lawrence Erlbaum Associates, 3-36. / Meyers-Levy, J. & A. M. Tybout (1989) Schema congruity as a basis for product evaluation, Journal of Consumer Research, 16(1), 39-54.
※3 Todorov, A., M. Pakrashi & N. N. Oosterhof (2009) Evaluating faces on trustworthiness after minimal time exposure, Social Cognition, 27(6), 813-833.